まきちゃん、まさとし、たくちゃん、てっちゃん、しゅんくん。ゆうくん、ひろし、たっちゃん。ゆきみちゃん、あっくん。るりちゃん。みどりちゃん、さくらちゃん、たろうくん。
子どもの頃の記憶が異様に残っていて、今日の空が昨日の風にすぐに繋がろうとする。
明石公園のすぐ隣で暮らしていた。森からは時々、ベランダの灯りを目指してクワガタが飛んできた。
永遠に元気で、永遠にみんなと遊んでいるのだろうと信じて疑わなかった。ところが世界はすこしずつ景色を変えて、僕たちがあの日約束したことを、みんなはどれだけ覚えているのだろうかと考えてしまう。
健康寿命と寿命はイコールではなく、だから備えるべきで、だから今しかできないことをやるべきで。
そして健康寿命よりうんと手前で、感性は枯渇してしまうのではないか。そんな不安に襲われることが増えた。波が安定すると、波の先で見えないものを失うことの恐怖に支配される。年齢。健康。寿命。無限に表現したいものはある。だからいつ死んでも、悔いは絶対に残る。
右脳、左脳。難しいことはよく分からないけれど、感情を理論に変換する場面を減らしていけたら、人生は豊かだったと言えるのではないか。
雑音に惑わされず、自分の泉に立って世界を見上げ続けたい。七年を経て夏を鳴くセミたちに、己自身を重ねた。