《伝わる喜びを想像し、伝えるチカラを創造する》
これはうちの会社の経営理念。だからまず、自分たち自身が「伝える」ことをやってみようと呼びかけた。伝わったら嬉しいよね。そういうことなんだよ。お客さんもきっと同じ。その想いが、商品が、サービスが、魅力が伝わればきっと嬉しい。
だから僕たちは、その喜びという結果に向けて、「伝えるチカラ」という手段を全力で考えようと誓い合った。
印刷物に限る必要はない。ブログでもいい、動画でもいい。SNSを活用することでもいい。方法はなんだっていいんだ。伝わればいいのだから、手段に固執しても仕方がない。
そしてその目的を実現するために、《お客さんのお客さんを想像する》ということを徹底している。目の前にいるお客さんではなく、目の前にいるお客さんのお客さんは誰なのか。それを考える。
たとえばお客さんのお客さんが小学生だったとしたら、僕たちはイラストを多用したポスターを作って、子どもたちの目の高さの位置に貼ることを提案するだろう。
たとえばお客さんのお客さんがフォト短歌をInstagramに投稿し続ける人だったとしたら、僕たちはInstagram広告のやり方と効果について説明をして、その結果を検証しながら詩人たちの集う場を創造しようとするだろう。
ときにはお客さんと意見が食い違って衝突することもある。
でもそれは、お客さんのお客さんを想像するからであって、その想像の色に馴染まないと思うときは、僕は言いたい放題、浮かぶイメージをぶつけることにしている。
2005年から経営を始めた。その在り方は一度もぶれたことがない。だからこれからも変わることはないと言い切れる。
問題は「主語」だ。
この記事も、あえて「僕たち」と「僕」という言葉を使い分けた。
僕には、僕たちにこの想いを浸透させて、目的を実現できるよう旗を振り続けるという大切な仕事がある。ところが、今はそれがどうもうまくいかない。「今は」などと書きながら、それも実際はどうだったのだろうと思ってしまう自分もいる。
体調を崩したり、ショックを受けることがあったり、色々なことが続いて疲れているのかもしれない。失望しているのかもしれない。
普通に生きているし、普通に馬鹿なこともしているのだけれど、普通の先でため息の海に戻ってしまう自分がいる。上下する気持ちの波。こんなことを書いても仕方ないのだろうと思いつつ、日記としての側面も持つブログだからこそ吐露する自分の弱さでもある。
冬至。これから少しずつ春に向かっていく。
3月か4月あたりには、また、心が不安定になる大きな治療が待っている。せめてそれまでには、「僕たち」に対する懸念が解消していればいいのだけれど。