2021年の春にコロナで死にかけたし、2022年の春には義母をコロナで亡くしてしまった。
そして自分の命を救おうと一生懸命にケアしてくださった医療従事者の方々の気持ちを思うと、「コロナなんてどうってことないですよー」などと、軽々しく口にすることはできない。
一方で自分には経営者の友だちがたくさんいる。
彼らは経済を回すことで生活の基盤を作る立場だ。その気持ちもとてもよく分かる。
雇用を守り、お客様には対価以上の価値を提供しようといつも必死になっている。経済が回って僕たちはこのアスファルトの上に立つことができるのだと思うと、彼らの努力には本当に頭が下がる。
で、だ。
自分には両方が見える。両方の気持ちが想像できてしまう。
だから苦しい。
うほほーいと気楽に遊んで過ごそうものなら、あの日、汚れた自分に躊躇うことなく触れてくれたスタッフの皆さんに申し訳なくなる。
経済よりも命ですよー。回すの、ちょっとストップしましょう。はい、カメラとめてー。なんて言ってしまうと、今度は彼ら(やつら)の想いを踏みにじったような苦しさに襲われてしまう。
もうずっと、そういう板挟みのような感情が続いているわけだ。それがとてもとても苦しい。
退院してからもずっと通院は続いている。
仕事上のことでつらいこともたくさんあった。
今までの自分なら、そんな状況に「やめっぴ。もう人生やめっぴ。逃げる。生きていることからドロップアウトしてしまう」なんて平気で言っていたかもしれない。
でも今は違う。救ってもらった命だ。命を粗末にしてはならない。だから何があっても生きる。生きている意味を考え抜く。答えなんてないかもしれない。でもとにかく、生きるよ。俺は生きる。
そんな気持ち。
ぜんぶ大事でね。
もちろん、元気があればなんでもできるわけだから、健康を疎かにしていいというわけじゃない。でも、その健康を公衆衛生上の立場から保持するためには、やっぱり税収が必要なんだよ。つまり経済が回っている必要がある。ぐるぐると。
ずっとずっと、そんなことを考えている。
病院の帰りに、カフェに立ち寄ってノートパソコンを開く。そして仕事をする。あぁ、自分はこうして、健康のことを考えながらも経済を回すことに取り組んでいるんだなぁと考える(韓流ドラマを観ていたわけだが)。
そしてまた、ぐるぐると、終わらない思考の渦のなかで、これからの自分の立ち位置や在り方について思いを巡らせてしまう。