ピアノ、エレクトーン、ドラム、合唱、習字、英会話、手話。
子どもの頃からいろんな習い事に通わせてもらった。父が倒れて商売が苦しくなって、それでもピアノのレッスンには20年以上も通わせてくれたのだから、僕はそのことだけでも両親に感謝している。
習い事に共通しているのは「表現」する何かであるということだ。今は「キャラ」になりきって人前で喋ることもできるが、本当の自分はとても内向的で不器用。いくつもの表現の手段を与えてもらったおかげで、その時々の自分を音符や文字にして伝えてくることができた。写真や短歌、川柳が好きなのもきっと、本心を置くことができるからなのだろう。ボクハボクヲチガウカタチデヒョウゲンスルコトガスキナノダ。ワレワレハウチュウジンデアル(違)。
いろんな表現がある。表現には想いが宿る。想いには時間が費やされる。
だからたとえば、ほんのちょっとした手紙やメッセージの類にも、「宿らせたい」と思うし「費やしたい」と思っている。言葉はだれかの温度になる。信念。ならないかもしれないけど、きっとなるのだと信じて、僕は言葉を選る。やあ、あなたの心は何度上昇しましたか。はろー、にーはお、こんにちは。世界に届け、この言葉。まあそんな感じだ(大げさだ)。
同じことでね。
相手が、自分に向けてくださったメッセージは有り難いなぁと心からそう思う。いま、その瞬間、あなたの前に僕はいなくて、なんなら僕は、遠く離れたどこかで呑気にお酒を飲みながら鼻くそでもほじっているのかもしれない。なのに、なのに、そんな人間のことを思い出して言葉を選んでくださったのだ。何度か読み返して、そして送信ボタンを押してくださったのだ。それを想像すると、有難くて有難くて涙が出てきそうになる。貴重な時間を割いていただきましたか。ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。
手のひらにやってくるメッセージたちが嬉しいな。生きて走り抜いて今、限られた時間や瞬間に自分のことを思い出してくれているという、その想いが嬉しい。触れて抱えられるものだけが幸せなのではなく、染みて感じられるものも僕を十分に幸せにしてくれる。有り難いことだね。
— 西端康孝 / コピーライター、歌人、川柳家 (@bata) December 31, 2019
言葉の仕事で生きていきたいという人たちから、相談を受けることが多くなった。こんな鼻くそ人間に相談する時点でどうかしているとも思うのだが、ひとつだけ答えてあげられることがあるとすれば、言葉は、受け取る人もまた、心を開いて時間を割いて読んでくださっているということだ。その時間に、どんな風にして温度を潜り込ませるか。目いっぱい、そんな想像をして言葉を選ぶことができれば、世界はうんと優しくなる。あなたの言葉に値段をつけてくれる人が現れるようになる(かもしれない)。
想像は優しさだな、温度だな。
温度の詰まった言葉はギフトだな。
そんな呪文のようなひとり言を唱えながら、僕は今日も言葉を選んでいる。さて、この語尾は、誰にどんな灯りをともすことができるのだろう。昨年の続きのような、2020年を過ごしていきたい。