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父は明石駅のホームに降りて、それから、僕の「伝えたい」という言葉の仕事に繋がっていった

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明石城が築城四百年になるということで、街では色々なイベントが行われている。鬱蒼としていた木々も綺麗に除伐され、土塀も塗り替えられた。明石駅からは、お色直しされたお城を眺めて楽しむことができる。

父は、明石の駅に降り立って、ホームから眺めることのできる景色に心を奪われてこの街に住むことを決めたそうだ。もう亡くなってしまった父と言葉を交わすことはできないが、同じようにこの場所に立つと、いまの自分と、当時の父の気持ちを重ねているような気持ちになれる。「なにかを決めた」場所には、独特の思念が残っているような気がしてならない。行き交う電車。ときどき、父の魂に触れる。

バンドでスタジオに入ったのは超久しぶり。相変わらずのヘルニアで肩に激痛はくるし、くたびれたけど、やっぱり楽しいな。伝えることに心を集中させるときの感覚には、何度だって戻りたいと思うし向かっていきたいと思う。はじまりは音楽だった。音楽から世界は広がった。大切な時間。— 西端康孝 / コピーライター、歌人、川柳家 (@bata) 2019年4月13日

この街の空気と、そして音楽を両親は僕に与えてくれた。

言葉、川柳、短歌、作文、コピー。
写真、手話、外国語。
エレクトーン、合唱、ドラム。

いろんな表現の世界を覗いては、ひとつひとつを楽しんでくることができた。
それはこの、ピアノというルーツがあったからだと思う。
商売がうまくいかず、どれだけ家計が苦しくなったときでも、ピアノは家にあって、レッスンにも通わせてくれた。途絶えていたら、きっと今の自分の場所はなかっただろう。はじまりは音楽、音楽から世界は広がった。

「伝える」というキーワードは自分の軸にあるフレーズで、ここ数ヶ月、同じようにして「伝えたい」と願う人たちの相談が飛躍的に増加した。また「書く」仕事についてもたくさんのご依頼をいただいている。

いま、身体が不自由になってしまった自分ではあるが、「伝える」に携わりたいという想いは一層、強くなってきている。行動する人たちに負けぬよう、自分の背を見せ続けられるよう、行動し続けていきたいと思う。

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