2019年4月1日、令和という、新しい元号が発表されましたね。
病院の待合室という重たい雰囲気に支配される場所で聞いていたのですが、新しい時代の訪れに、皆の空気の変わったことが印象的でした。治っていくんだ、元に戻ってみせるんだ。未来へのスイッチを、僕たちは共有しあいました。
さて、そして、4月2日。
今日は、父の命日です。
亡くなったのは2008年の4月2日でしたから、もう、病院で泣いて叫んだあの日から、11年の歳月が流れたことになります。
今度は僕が、患者の立場で病院に通っている。
なんだか不思議な気分ですね。
両親の与えてくれたこの命のことを、改めて有り難く思います。
そして、もらった身体をこんな風にしてしまったことを、申し訳なくも思います。
ごめんな、父さん。
父さんなら、どうした? 父さんなら、どうする?
僕はまだ、父以上の商売人に出会ったことがありません。
お客さんに喜んでもらうことを常に考え続けていた父。
同じ血が僕の中に流れていることは、誇りであり、心の支えです。
父さんなら、どうした?
父さんなら、どうする?
想像して、問いかけて。
そうして、今日までをやってきました。
もちろん、これからもそうです。
昭和と平成を一緒に生きて、
令和には、父の魂を連れて向かっていくわけです。
新しい時代、
共に見た景色から離れていくのは寂しいことですが、
立ち止まれば、きっと眉間にしわを寄せる父の顔。
変わることのない心の距離をたしかめて。
僕は今年も、
命日、すこしだけ子どもにかえって、
過ごしていきます。
父さん。
ありがとうな、父さん。