僕は1976年生まれ。ナナロク世代なんて言われ方をします。
76(ナナロク)世代は、学生時代からインターネットに親しんでおり、それがその後のネットビジネス起業へと繋がりやすいと言われている。
ミクシィの笠原健治社長やドリコムの内藤裕紀社長、はてなの近藤淳也社長など、Web2.0時代を牽引する多くの企業の代表者が名を連ねる。
これからはネットの時代だぜー、ネット活用しようぜー、起業しようぜー、という、だぜーだぜー世代ですね(ちょっと違いますね)。
海に向かって立つとき、広がりや未来という「無限」を感じることがあります。僕たちが社会に出るころはちょうどそんな感じで、未開の海に、土地に、さて、どんな風に何を形成していこうかというエネルギーに満ちていたような気がします。
感覚ですが「勤労は美徳である」と考える人の多い、最後の世代のような気もしますね。いわゆるライフワークバランスについて語り合うとき、僕たちより上の世代と下の世代とで、感覚が違うなと思うことが多いのです。ネットのなかった世代の人と、ネットが当たり前に存在していた世代の人の中間になるので、その混在を肌で感じやすいのかもしれません。
高度経済成長を支えてきたような人たちの考え方も分かる。いつまでもその武勇伝を押しつけられるのも嫌だけれど、それを聞き上手していくこともひとつの処世術だと知っている世代。
また逆に、古い考え方に無理に自分を合わせていく必要もない。自分「らしく」あるために、自分の考え方や権利を主張していく世代が、「かわいい後輩」たちにもたくさんいる世代。
それが僕たちナナロク世代です(自分感覚です)。
良く言えば、上と下の世代の考え方を俯瞰することができる立場であるということです。悪く言えば、上にも下にも寄せていく、カメレオンのような立ち位置を取りやすいともいえるでしょう。
自分という人間の中にある「頑固」さは、こういう世代、そういう時代を生きたことによるもの?
自分という人間には、絶対に人に譲らない頑固な部分があります。
最近、この頑固さは、こういう世代、そういう時代を生きてきたことに起因するのではないかと考えるようになりました。いや、正確ではありませんね。「こういう時代を生きてきたからです」と説明した方が、一段飛ばしで、相手に伝わりやすいことに気付いたのです。
たとえば。
僕はタバコが大嫌いです。
夜のお店に行って人付き合いすることも苦手であると言いました。
抱負というか、カミングアウトというか。理解してほしいというか、協力してほしいというか。
2019年を迎えて、後厄の一年が終わった。 指の神経痛、緑内障、肋骨の骨折、頸椎ヘルニア。この2年間は健康につ
この二つは完全に個人的なことなのですが、「人付き合いが必須」で「いろんなお店に行く機会がある」自分が、経営者の立場であるにもかかわらずこのような発言をすると「あいつはどうかしてる」という言われ方をしてしまうことがあります(実際どうかしてるんですけども)。
で、言い換えるのです。
「僕たち世代は、IT技術の秒進分歩の世界で競争することを強いられてきました。リアリティのある人間付き合いも大切だということは承知しているのですが、画面に向き合って想像を巡らせることも重要だとたたき込まれてきたのです。だから、夜が遅くなってネットのチェックが捗らなくなると落ち着かないですし、画面ではなく面と向かって関係性を深めていくことも不得意なんですよ。ごめんなさい」
と。
まぁ屁理屈なんですけどね。
こんな風に、考え方や価値観の違いを伝えるときに、「世代」という言葉を使うと楽なんだということを体得したので、積極的に使っていくべく、あえて今回の記事にまとめてみたわけです。
これからも僕は、書くことで、色々な考え方を伝えていくことでしょう。
そして、その記事のなかでまた、今回の記事を引用することも増える予感がしています。
生意気ですよね。
頑固です。
でも、それが僕です。
そして、こんな僕にしたのは、生きてきた時代です。
なんだかちょっとね。
書くことに自由になりたくて、こんな言い訳を先に用意してみたのでありました。