ほんの少しだけ、お兄さんやお姉さんのような感じのする人たち。
そのご子息が成人式を迎えられたと聞いて、とても不思議な気持ちになっています。ついこの前、自分が成人式を終えたばかりのような気がするのにね。行き交う艶やかな着物たちで、華やぐ街。やわらかな日射しが未来を照らしています。
目立ちたがりだった自分は、明石市の新成人代表として壇上にあがりました。
企画から携わり、地元のFM局に生中継を依頼。当日は人気パーソナリティーに”いじって”もらって、とても印象深い門出になりました。あの日あの時の僕は、20年後、ヘルニアになって腕が不自由になっていることや、風が吹けば飛んでしまいそうな、こんな小さな会社の経営者になっていることを想像したでしょうか。
振り返れば今日まで。忘れ物も落とし物も、たくさんしてきたような気がします。ひとつひとつに
(大人だから、仕方ないよね)
(会社を守っていくって、そういうことだもんな)
なんて、そんな言い訳を添えながら。
理由のような言葉に置き換えて、足りないことや、動かなかったことをそれっぽく正当化することだけは、とても上手になりました。そして、ときどき、胸が苦しくもなります。
感性や感覚、思考や嗜好。
内面的なものが可視化されやすい時代になって、だから楽しくなる「場」と、だからしんどくなってしまう「組織」がある。もっと足を踏み入れたいなと思う景色があり、すこし距離をおきたいなと考える空気があり。
感覚を確かめつつ、取捨選択をしていかないとね。
— 西端康孝 / コピーライター、歌人、川柳家 (@bata) 2019年1月13日
今日が一番若い日。
これから先、今よりも元気で健康であることは難しいでしょうし、挑戦という言葉にリアリティを伴わせることも、簡単ではなくなっていくのだと思います。
だとすれば、取捨選択。自分の気持ちに忠実に、時間の使い方を考えていかなくてはいけないのだろうな、という気がしています。
感覚の尊重と、違和感からの離脱。
それを言語化して、行動していくことが、自分のこれからを創っていくこと。
初々しい成人たちの姿を見て、なんだか無性に、そんなことを書いて伝えたくなりました。
たとえ笑われたとしても、
あきらめて苦笑いをしている自分の姿を想像するよりは、幸せなんじゃないかなと考えています。