経験は価値になります。
それは僕の持論。だから、知識の臭いをさせるのではなく、経験の香りをさせたいといつも考えています。「勉強会」や「セミナー」という言葉に距離感を置きたがるのはそういう理由から。実際にはそういう場に行くこともありますが、SNSなどで表現するときは「会議」とか「打ち合わせ」という言葉に置き換えるようにしています。
転んだときに痛みが少ないようにはしてやっても、転ばないようにしては駄目だと思うんだ。そのかさぶたが強い皮膚になっていくよう、予見できる痛みの場面は与えてあげた方がいい。経験という価値は、這いつくばったところにたくさん落ちている。泥の味は人生の栄養素だと僕は思ってる。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人・コトバノ (@bata) 2018年2月15日
会社では、失敗は怒らないというルールをつくっています。もちろん、ミスを積極的に肯定するわけではありませんが、将来に向かって、失敗することも財産なのです。その原資をどうやって生かしていくかがひとりひとりの資質。「やらない」ことは怒りますが「やった結果のミス」を怒らないのは当然のことです。
自分もたくさんの失敗をしてきました。これを書いている今日だって、「申し訳ありません」という言葉を用いて、電話とメールで2件の対応をしました。駄目なことではありますが、そのおかげがあって、明日の自分は作られるのです。
転ぶこと。転んだ場所にある泥の味を知ること。
それは栄養素であるということ。
だから失敗を、許せる自分でも、許される自分でもありたいものですね。