日本現代詩歌文学館の2018年の常設展「ゲームと詩歌」に川柳の作品を展示していただけることになりました。
できたーーー!送るー!
文学館の方が書いてくださった伝票の字の美しさに感動。
嬉しいな、作品を展示していただけること、とても幸せ。写真作品に添えた自分の字は震えていて汚くてアレだけれど、今の等身大をそのまま残してもらえるって本当に幸せ。言葉を拠り所に生きてきて、本当に良かった。 pic.twitter.com/nveON4jPvD
— 西端康孝 / 川柳家・歌人・コトバノ (@bata) 2018年2月12日
たとえていうならば、高校球児たちの甲子園球場のようなものです。「どこかの文学館で自分の作品を飾ってもらえるようになりたい」「句碑や歌碑を地元の明石につくりたい」という一生の夢のうちの一つが実現しました。
日本現代詩歌文学館の方からは大変丁重なご依頼・対応をしていただき、こちらが恐縮するばかりでした。「先生」と呼んでいただいたり「揮毫をお願いしたい」と言ってくださったり。人生で、こんなにちやほやされる機会は滅多にないことでしょう。貴重な経験をさせてもらいました。できれば岩手まで行って、自分の作品がどんな風に展示されているのか覗いてみたいと思っていますが、叶いますでしょうか(飛行機が大の苦手です)
日本現代詩歌文学館
詩歌の世界にいる人たちの間では「わかる」「わからない」の議論になることがあります。
絵画と同じで「感じて」もらうものですから、言葉の背景にある世界を理解してもらう必要はないとも思うのですが、あまりにも遠すぎる世界観を言葉にしても、こちらの世界(=詩歌の人たち)の自己満足になってしまう可能性があります。もちろん、ちゃんと鑑賞すればこの世界観にも魅力はたくさんあるのですが、「こちら」ではない人たちにそれを強要するのも違和感があります。
なので僕は「わかる」立ち位置を意識して、「わかる」から「わからない」への橋渡しのような役割を担っていきたいと考えています。ある程度セルフブランディングをしながら注目を集め、その結果、自分よりも優れた才能を持つ人たちの作品に目を向けてもらえるようになれたらとても嬉しい。そして、橋渡しをした人たちの作品を一冊の本にしてプロデュースしていきたいな、という想いもあります。
どんなことも、まずは自分が経験すること。
伝える喜び、伝わる喜び、感じてもらえる幸せ。それらが分かるからこそ、「こちら」の世界にたくさんの人たちの目を向けさせていきたいと思っています。自分の使命といっても良いでしょう。自分自身の幸せを実現しながら、誰かの喜びに貢献できる仕組みを提供していけたら最高ですよね。
ゆめはひとつひとつ。
この言葉のひとつひとつも、きっと、そこにつながっていくのだと信じています。