ここでは文学的な解釈における「詩とポエムの違い」については扱わない。いまは、広義での「詩」をポエムと考えた場合について話す。
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綺麗な言葉で論点をずらしたり曖昧に伝えたりとすることを「ポエム」と表現する風潮がある。
「あいつの言うことはポエムばかりだ、自分は行動をしないくせに」
「ポエムで飾るけれど、中身は空っぽだ」
誰かの思想表現を揶揄するときに、こんな風に用いられる「ポエム」という言葉。うわべだけだ、とか、空っぽだ、とか、そんな感じの言葉で置き換えれば良いということは理解している。理解しているのだけれど、昔から詩を書き、詠んできた人間にとって、その領域の言葉が、ひとを卑下するために使われるのはあまり気持ちの良いものではない。
たとえば野球部だった人にとって、たとえばラーメン屋さんにとって
「あの行動はまるで野球部の人みたいで笑えちゃうよね」
「ばかだねー。ラーメン屋かおまえはっ」
なんて言われると、やっぱり気分は良くないだろう。何かをわかりやすく伝えるときに「たとえる」のはとても大切なことだけれど、そのたとえ方が誰かの心情を害してしまってはならない。
さて、僕のこの言葉は、ナイーブな詩人たちを守る主張と受け止められるだろうか。それともやっぱり、これも「ポエム」だと思われてしまうのだろうか。