中国のメーカーの方が「仕様とデザインは予告なしに変更されますかもしれません。ご了承ください」と書いた文章は、日本語としては正しくなくても、なにかこう、誠実さや一生懸命な人柄が伝わってきて好印象だ。姿勢を伝えるのは正しさではなく熱意なんだろうな、きっと。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人・コトバノ (@bata) 2017年11月14日
コトバノというサイトを運営していると「だから日本語を正しく使いましょう」と主張しているように勘違いされてしまうことが多い。そんなことを伝えたいのではなくて、あくまでも「相手とのコミュニケーションを補うための知識として知っておいてほしい」という願いで運営しているものだ。正しさを押し付けて相手を傷つけてしまう。そんなことはあってはならない。
「正しい」と言い切るのは、実はとても危険なこと。誰かの正しさは、誰かの尊厳を著しく傷付け、争いを招いてしまうことすらある。何かを変えたいと願うのならば、知識で相手を論破するのではなく、熱意で相手の心に触れるべきなのだと僕は考えている。
言葉の正しさなんて、どうだっていいじゃないか。
伝えたつもりで傷付けるよりも、伝わるまで言葉をなぞり続ける人のほうがきっと魅力的だ。言葉は温度を伝えるための手段。大切なことは「伝わる」ということだ。