高速道路から、寒くて悲しそうな景色を眺めながら帰ってきた。
震災の痛みを分け合ったあの日の僕たちを、安っぽい言葉が覆っていく。さらに大切なものを失い、失わせてしまったような申し訳ない気持ちになった。
そんな、寒くて悲しそうな景色だった。#世界一のクリスマスツリー
— 西端康孝 / 川柳家・歌人・コトバノ (@bata) 2017年12月1日
震災で傷を負ったもの同士でさえ、傷の大小を気にして、言葉にすることを躊躇してしまう。
「守る」とか「鎮める」とか「祈る」という言葉には、金の匂いを隠す作用があって、どうせなら、すべてがうまく見えないようにして、ちゃんとストーリーを完遂してくれたら良かったのにな、と思う。電飾よりも、嘘で飾られたクリスマスツリーはとても寒そうだった。
言葉の可能性を信じて、僕はそれをコピーライターとして生業にしている。
一方で、言葉は上手に扱わなければ、安っぽいメッキになってしまうことも今回のことで十分理解することができた。
言葉が覆っているものが何であるのか、人は覗こうとする。
覗かれてダメなものは、やっぱり、飾ってはいけないってことなんだ。