鳴門のマスターの訃報は誤報ではなかった。ショック過ぎる。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人・コトバノ (@bata) 2017年11月25日
いま、どうして喪服を着て通夜式の会場に向かっているのだろうと考えたら、実感に胸を締め付けられて泣けてきて仕方がない。会社を始めたころから、一番説教をしてくれた人だった。いつも明け方まで店を開けてため息に付き合ってくださった。この前会ったときは、よく頑張っていると褒めてくれたのに。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人・コトバノ (@bata) 2017年11月25日
たくさん泣いた、僕はマスターのお店でたくさんのお酒を知り、たくさんの生き方を教えてもらった。喪失が現実のものになるにつれ、この悲しみはえぐるようにして寂しさを深くする。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人・コトバノ (@bata) 2017年11月25日
地酒屋鳴門のマスターが亡くなった。急死だった。
明石駅前が再開発される前の店舗の頃から、マスターにはお世話になった。僕はいつも、同友会の集まりにテンションをあげて臨む。それにくたびれて帰ってくることを知っていたマスターは、遅くまで店を開けてくれて、僕のための席を用意して待っていてくれた。明け方まで何度も付き合ってくれた。社会での生き方や人との接し方を教えてくれたのもマスターだったし、くじけそうになったとき、説教をしてくれて励ましてくれたのもマスターだった。
最近ではうちのメンバーにも「西端は厳しいけれど、ついていけよ」と言ってくれていたらしい。ユニークで頑固で厳しくて、だけど優しい、最高の親父だった。
この11月にも店に立ち寄ったばかりで、元気に話をしていたのに、今、こうしてお別れを終えた後でもいなくなったことが信じられずにいる。僕の歴史を支えてくれた人が、これからの歴史を見守ることもなく去っていってしまうのは寂しい。本当に寂しい。まだまだ教えていただきたいことがたくさんあったのに。昨日までの当たり前は、今日、一瞬で、当たり前ではなくなってしまった。
生きている、生きていく。
でも、生きていきたい人とは、ずっとは一緒にいられない。
この、ひとつひとつの点を生きているのだということを。
悔しいくらいに、思い知る。