立場上、自分がとても言いづらいことを察してくれた方がいて、負担が減るようにと働きかけてくださっている。有り難いし、こんな風になりたいなぁと思う。イエスマンばかりでは組織として機能しないもんな。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2017年2月25日
大阪や神戸、あちこちの集まりに参加しては組織を見てきた。独裁的な人もいれば、すべての意見を集めようとしては拾いきれずにチームをつぶしてしまう人もいた。リーダーと呼ばれる立場の人にも色々いて、素直に参考にしたいと思うこともあれば、これは反面教師だな、と思うこともたくさんあった。
雰囲気が良いと思うチームには、ちゃんとNoを言う人がいるのだなと気が付けるようになった。賢いリーダーになると、あえてNoと言いやすい仮説をぶつけてくる人もいる。教えるのではなくて、気付かせるように仕向ける。そうやって発言の機会を与えながら、立ち位置と責任、役割について自覚をさせていくのである。これを意識して出来るリーダーのところには、ついていこう、盛り立てていこうとする空気が生まれる。管理職とリーダーシップの違いは、こういうところなんだろうと思う。
僕が同友会に入ってまもないころ、事務所にやってきて、「俺をリーダーとして立ててほしい。俺の言うことになんでもYesと言ってほしい」と頼み込んできた人がいた。彼は「自分の意見にイエスで追従してくれる人を作ることが組織運営で大事だと学んだんだ」と語っていたが、それはけっして「イエスマンになってくれ」という意味ではなかったはずだ。彼の事務所を訪れると、いつも社員さんたちの雰囲気が悪かったことを思い出す。ほどなくして、彼は同友会から消えていった。今なお、僕にはこの事件が大きな反面教師となって生き続けている。