祖母の四十九日法要。
小さな骨壺に納まった僕のルーツを眺めながら、この御香や読経はどんな風に届くのだろうと想像をする。この「ギシキ」に意味があるのだとすれば、形式が途絶えてしまういつか未来に「あっちの世界」に何かしら悪影響があるのだろうか。僕たちの宗派ではそんなことはないと教えられていて、だとすれば、今、目の前で行われているこの儀式も、「葬式仏教」としての形式のためだけに行われているものになる。事実、お坊さんは、この場を「故人を偲ぶ場」であると語った。
それでも、こういう儀式をしている「こっち」側の人間、それぞれの心身に「ちゃんと送ってやることができた」という充足感があるのなら、それなりの意味なり効果なりは認めても良いのだろう。
色々あった祖母との関係。ただただ感謝を伝える。生前の祖母にもらった数珠を手に。