「ごめんで済んだら警察はいらん」というのは確かにそうなんだろうけれど、「ごめんなさい」と「ありがとう」という言葉をまず最初に学んだ僕たちでもある。真摯な反省の後には再挑戦のできる土壌や空気、その余地を残してあげてもいいんじゃないかな。叩き過ぎてしまう手前の場所で。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016年12月9日
指先で世論という波を作り出せるようになった。
だからこそ改善されていくことがあるのだろうし、自浄されていくこともあるのだろうと思う。その一方で、僕たちはこの指先で、表面的なことを知り、表面的な情報だけでヒトやモノゴトについて、いとも簡単にジャッジをするようにもなってしまったような気がする。
白か黒か、100か0か。極端を選んで、相手をとことんまで叩こうとすれば、僕たちもいつか、同じようにして、けっして許されることのない審判の場に運ばれてしまうのかもしれない。
僕たちは失敗をする動物だし、許すことのできる人間でもある。
「いつか」のために許そうと思うほんの少しの余裕を、それぞれに持ち合えたら優しいのに。