誕生日におめでとうのコメントを残せば、せっかくの時間を返信作業で奪ってしまうのではないかと思うし、病気の人にお大事にと伝えれば「大丈夫です」と無理をさせてしまいそうだし。カタチだけの無力ではなく、チカラになる無形とは何だろうと考えて過ごした。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016年11月16日
様々なSNSのサービスで、誰かの誕生日であることがわかりやすく伝わるようになってきた。
「おめでとうございます」というひと言に「ありがとうございます」というひと言だけのやりとりが行われているのを見かけると、なんとなくモヤモヤしてしまう。せっかくメッセージをもらったのだからと「ありがとうございます、○○さんにはいつもこんな風に助けていただいて感謝しています」と、一人一人に丁寧なメッセージを書いているのを見かけると、それはそれで素敵な人で、でも、負担が大きいだろうな、とも考えてしまう。
誕生日のメッセージのやりとりが、「かたちだけのひとことで」相手に負担をかけてしまうのは、特別な時間に対して、あまりに申し訳ない。だからせめて「おめでとう」を伝える側が、キャッチボールをしやすいひと言を添えてみてはどうだろうか。
「誕生日おめでとう、こうやっておめでとうを伝えあえるようになって、もう5年が経ちましたね」
「おめでとうございます。先日読まれていたあの本、私も買ってみました」
「去年の誕生日は旅行に行ってましたよね。今年はどんな風にお過ごしで? おめでとう」
SNSのシステムが誕生日を教えてくれるから「おめでとう」を言うのではなく、私は、あなたという存在をちゃんと認知したうえで、祝福をしたいと思う。だから伝えているのです、という想いの伝わるひと言の工夫。365日24時間「つながっていられる」こんな時代だからこそ、ちゃんと意識していきたいと思う。