2000年。
今から、もう、6年前のこと。
あの頃は、まだ、「会社勤め」をし始めたばかりの自分で。
でも、一生懸命頑張って、自分の大切な家族である「犬たち」にも、何かをして
あげられる存在になりたいと、いつもそんなことを考えて、毎日、充実した気持ちで
過ごしていました。
そんな、一生懸命な毎日の真ん中で、突然失った、大切な、大切な、宝物。
心の中の定位置には、今だって、変わらずに、“ちょこん”と彼が。
・・・今夜、会いに行ってきます。
彼に、当時のままの、僕ら家族の愛情を伝えてあげたくて。
===(当時の日記)
2000/08/22 Tue.
「感謝」
ぷーすけは、神戸の公園で泥まみれになって遊んでいました。
マルチーズとプードルがかかったような雑種で、身体の大きさの割に足が長く、くるくると
した巻き毛も、安っぽい人形のような手触りをしていて、決してスタイルのいい犬ではあり
ませんでした。そんな事情で拾われてきたぷーすけ。我が家での生活は、およそ10年ほど
だったでしょうか。
何よりも散歩が大好きで、「行こうか」と話し掛けると、尻尾を振り身体を回転させて喜びま
した。家族が帰ってくる頃には玄関で待ち、ドアのところで匂いをかぐのではなく、「僕はこ
こにいるよ」と鼻息を大きくして自分の存在をアピール。扉を開けると、思い切り暴れて”おか
えり”と言ってくれました。
水遊びが大好き。飲むために置いてあるお皿の水に足を突っ込んでは、周囲をびちょびちょに
してしまい、うちの母親には良く叱られていました。おすわりもお手も最初から出来た犬で、
とても賢かったのです。だから、僕たち家族も、4匹の犬の中では一番叱ることが多かったよ
うな気がします。明石公園の散歩では小川や水溜りに身体ごと突っ込んで、水をじゃぶじゃぶ
させてよく遊んでいました。だけど、少し離れたところにいても、常に家族の居場所を気にし
ていて、決してある程度以上は離れないようにしていました。
家族以外の人間にはあまりなつきませんでしたが、家族にはとても従順でした。いつでも誰か
のいる部屋にやってきて、いっしょに昼寝をしたり、色々と相談に乗ってもらったりもしまし
た。苦しそうな顔や悲しい顔を浮かべる家族の前に、ちょこんと座って、何も言わないのに
「お手」をしてきました。「元気出してよ」と、たくさんたくさん、励まされました。
◇
2000年8月21日月曜日、午前7時過ぎ。
昨日からの発作で病院にいたぷーすけは、獣医の先生に看取られて天国への”お散歩”に出かけ
てしまいました。
まぶたが閉じる瞬間に、僕たち家族がいなかったこと、それはぷーすけにはとっても悲しかった
かもしれません。
小さな身体で、何度も発作から復活して生きる勇気をくれました。
腰の骨を痛めて手術をしなければ、といわれたときさえも、自然と治して、たっぷり愛想をふり
まいてくれました。
数え切れない程、僕らを癒してくれて、そしてぷーすけは少し遠いお散歩に出かけてしまいました。
◇
自分にとっては子供であり兄弟であり、家族以外の何者でもありません。
今までもそうだったし、それはこれからも変わることはありません。
ぷーすけに見守られる自分を幸せだと思って、頑張って生きていくこと。
そして天国にいけるような人生を歩んで、また一緒に生活したいと今は思っています。
まだまだ言い足りないたくさんの「ごめんなさい」そして「ありがとう」は、いずれ再会する時に
伝えるとして、今はぷーすけの天国での生活が、じゅりーと共に、満ち足りたものであることを心
から祈り、願うばかりです。
天国の、水のたっぷりある公園で。
たっぷりたっぷり散歩するんだよ。 そしてまた、一緒に遊ぼう。
ありがとう、大好きな天国のぷーすけへ。
===
8月の20日を過ぎるころ、小さな秋の気配を周囲に感じ始めると。
「もうちょっと頑張ったら、涼しくなったのに。そしたら、もう少し長く一緒に居られたかな?
その分だけ、病気で苦しんだかな? どっちが良かったのかな??」
そんな自問自答を、毎年してしまいます。
もしかしたら、何も変わらない自分にほっとしてくれるのかも。
もしかしたら、何も変わらない自分を苦笑いされるのかも。
あ、でも、随分おっさん化した自分に、気付いて貰えなかったりもして。
・・・匂いで、わかるよね?
いつだって、会えるけれど。
今日は、特別な気持ちで会いに行く。
そう、決めている一日です。
山の麓の霊園には。
もう、きっと、秋の気配の中で、僕らを待ってくれているぷーすけがいるのでしょう。
たまには、たまには。
こんな自分も、どうかお許しください。