同友会のIさんのお見舞いと、祖母のお見舞いと。
顔見知った人たちとは、やっぱりいつもの居場所で会いたいなぁと思う。穏やかな空気が流れているようで、会話はどこか、核心に触れずとも感じとろうとする言葉の連続になってしまう。Iさんとは退院したあとの約束をして別れた。祖母には祈りだけを捧げて病院をあとにした。
「いわゆる悪筆で、もじょもじょと謎の線を書きつける天才タイプは、溢れるアイデアに手や言葉が追いついていかない傾向がある。そもそもノート自体が、のちに人が見るための記録ではなく紙上で書きながらリアルタイムに思考するためのツール。つまり勉強は他人のためでなく、あくまでも自分のため。考えること自体が楽しいという脳の持ち主で、その延長上で勉強ができてしまう」。
僕はお客さんに伝えながらノートに説明を書くのに、お客さんはいつも、僕の話を聞きながら自分のノートに書こうとする。「あとでこのノート、お渡ししますよ?」と言っても「あとで読めなくなるから、大丈夫です」と返されて(そうか、大丈夫なのか)と妙に納得した気持ちになっていた。
字が汚いことは「考えること自体を楽しもうとしている脳の持ち主」という説明をすれば良いのだと、この記事に自信を与えてもらうことができた。特別な脳みそ。そうか、それで僕の字はこんなにも楽しく踊ろうとしているのだな。