最後に曲を作ったのはいつだったろうと思い出しながら、無性に鍵盤に向き合いたい衝動にかられている。現実にはそんな時間はまるでなくて、理想とのギャップがただただ切ない。ストレスからくる耳鳴りは、とうとう、完全に僕の聴力を奪ってしまった。一時的なものではあったが、もう二度とピアノが弾けなくなるのではないかと覚えた恐怖は一生忘れられないだろう。
言葉を整えたり、人と人との調和を考えたりするときに、僕は頭の中に五線譜を描く。聞こえないという無音のなかにいて音を想像しようとするならばともかく、耳鳴りに邪魔されて本来の音が聞こえないという状況は、生産活動のすべてに影響を及ぼすということを知った。もうすぐ40歳。身体はちゃんとメッセージを伝えてくれている。
「考えすぎなんだよ」
「もっと楽にかまえたら?」
そうですね、と、笑って、考えすぎないとはどういうことなのだろうと考え込んでしまう。癖、個性。これはもう、上手に付き合っていくしかない。
会社に来てみると、隣の不動産会社社長(大家さん)が大きな声で詩吟の練習をしている。僕は事務所に入室するための暗証番号を忘れて、それをずっと聞いている。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016年8月6日
聞こえるという当たり前が愛おしくなる。少しずつを削られていくことが避けられないこれからならば、もっともっと、時間の価値を考えなければならない。いまはどんな足踏みの場所にいるのか。細胞たちに問いかけて、やり残してばかりいる毎日から、きっとちゃんと変化をしていきたいと願う。