昨日までと同じで良いわけがなく、守るものは守って、捨てるものは捨てて、適応をしていかなければならない。冬が来ると分かっていれば着込む服のことを考えるし、暖房もちゃんと準備をしようとする。生きていくっていうのはそういうことだ。
12月にもなって準備ができていなければ、焦るだろう。焦らなくては。そして焦っていることを伝えたらいいと思う。そうすればまた、その旗に気付いた誰かが助けてくれるようになっている。生きるっていうのは孤独にやっていくことではない。生きていくっていうのは、人を巻き込みながらやっていくっていうことだ。
「のんきだね」「余裕があるんだね」と言われて「そうですね」と答えられるほどのゆとりを、僕たちは持ち合わせてはいない。座っているのか、歩いているのか、走っているのか、間に合いそうにないのか。そんな横顔や雰囲気を伝えてどう映るかを考えること、それも生きていくために必要な想像力だ。その想像力の意味を理解して共感してくれる人だけを、これからは求めていきたいと思う。
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疲弊した分だけ、花は咲くようになっている。花を咲かせた人間は生き方を知っていることだ。与えられるんじゃない、咲いてみせろ。