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上京の夢をあきらめた、チキンジョージで手渡したデモテープのあれからと今と

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「ひと昔前の文体が大好きだった。繊細で壊れそうで、その危うい感じに惹かれていた」「ひと昔まえ?」「そのあとは、ずっとひとに苦しんでいるから」――自己実現欲求が強い人間なのだ。文体に惹かれると言われて、嬉しくないわけがなかった。毎日は現実として当然にやってくる。時間を消費して心を摩耗して生きて、(いつか時間ができれば)ばかりを考えて、昨日よりも少しくたびれた今日という振り出しに立っている。

先日司会と演奏を行ったチキンジョージで、20年前に、自分の楽曲のデモテープを師匠に手渡したのだった。テープを聴いた師匠は僕に上京して活動することを提案してくれたのだが、そんな勇気はなくて、僕は山と海に囲まれた小さな街で生きていくことを選択した。以来、違う道を選んでいる自分を想像しては、踏み固めるようにしながらカレンダーを繰っている。若い人たちが夢や情熱という言葉を躊躇なく使っているのを見かけると、ただ眩しくて羨ましい。燃えカスの温度だけが今も心を焦がし続けて、不完全燃焼のため息をアルコールで誤魔化すのはダメ人間の典型だ。

この世から消失するときが、いつか必ず訪れる。そのときに「あいつは、こんな風だった」と言ってもらえるような何かを創ってみたい。その気持ちはずっとあって、その気持ちを打ち消すような言い訳ばかりが得意になって。ずっと憧れた音楽や言葉の世界には、気が付けば、自分よりも年下の人たちを多く見かけるようになってしまった。

40歳という年齢をひとつの節目に考えていたのは、幼少の頃から内臓の疾患を抱えていた父親が入退院を繰り返すようになったのがこの頃であったからだ。いろいろを受け継いでしまった自分は、ひとよりも時間の価値を強く認識できる立場であったにも関わらず、まもなくこの線を過ぎようとしてしまっている。漠然と、漫然と。

生きてる間に言えなかったけれど、父は僕の。 | 川柳をこよなく愛する明石のタコ

父の命日が近づいてくると、いろいろなことを考えるようになる。満開の日に散るだなんて粋な死に方をしてくれたもんだから、おかげで、春の匂いに触れるたび、人生の意味を深く考えるようになってしまった。成長していない一年を父に問われているような気持ちにもなる。桜はもっと、楽しくていいはずのものを。

春が来て、大切な人たちの命日をいくつか過ぎて、時間と命と、できていないことのあれこれを想って、足踏みのままに凹んでいく今の立ち位置を考えてばかり。来年の桜まで、さて、僕は何を創り、伝え、残すだけの足跡を増やすことができているだろうか。開花の空に20年前のデモテープと父のことを思い浮かべて、大きなため息をこぼした。ため息はもう、これっきりにしたいなぁと願った。

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