前川企画印刷ではtwitterやブログでのアウトプット(発信回数)も評価の対象にすることにしている。ご存知の方もいらっしゃる通り、うちの会社はSNSの活用で今日までをなんとかやってくることができた。メンバーには、人と繋がっていくことのコミュニケーションスキルと、継続のチカラ、インプットの重要性について繰り返し語り続けている。
読んでいる本だとか、インプットの総量を給与査定に採用しているところの事例をもっと知りたいな。それがすべてだとは思わないけれど、(ちゃんと本、読んでいるんだろうか)と身内でさえ感じる不安を払拭していきたい。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016年3月21日
ただ、これほど伝え続けても、響いてこない。もっと急いでもいいだろう、もっと焦ってもいいだろう、もっと習慣にする努力があってもいいだろうと思うのに、この程度か、と感じてしまう。見えにくいものを評価しようとしているのだから、評価する自分の目をもっと養わなければならない。このあたりも自分の問題なのだろうと思う。
定性的な評価はどうしたって評価する側の主観になってしまう。評価はできるだけ定量的であるべきだ。定量的とは具体的なもの、数値で表現することのできるもののこと。
ならば、アウトプットまでの道筋が作りやすくなる「読書量」を評価基準の一つにしてみようと考えるに至った。メンバーの読んだ本をtwitterやブログで報告してもらう。外の人に向けて伝えるのだから、誤魔化しはきかない。もちろんそれは、評価する自分の「うちのメンバーはまったく本を読んでいませんので」という言い訳を封じることにもつながる。彼らはインプットを評価され、同時にそのインプットを「こんな本を読んだ」とアウトプットすることで二重の評価につながるという仕組み、習慣化。
本来、本を読んで知識や技能を高めるということはこの世界にいて当然に行われているべきことだ。この程度のことにニンジンをぶら下げないといけないというのは情けのないことだと思っている。ただ、ここまでやらなければ、危機感は生まれないし、行動をしようともしない。なれ合いは甘えを生み出してしまい、成長の機会を奪い続けてしまった。結果、うちの会社は、十分な付加価値を提供することができず、時間あたりの生産性が年々低下するという負のスパイラルにはまり込んでしまっている。もはや一刻の猶予も許されない。
企業は人なり。構成するひとりひとりの成長が企業の価値を高め、仲間を助けることに繋がるのだと信じたい。そのために、今までにインプットをする習慣のない甘えを本日限りで捨て去ってほしいと、強く願う。代表である自分は、あえてこれをブログで宣言することで、社内に緊張感を与える効果を狙う。彼らには「見られている」ので「継続しなければいけない」という意識をもってもらうことを期する。
厳しいように見えるのは、これまで、甘かったことの裏返し。皆がやってきた時期にやっていなかったことを、いま、やらなければいけないだけのこと。ぬるい空気はもう、強制的に換気していく。