手話スクールに3年くらい通っていたことがある。
耳の聞こえない先生は、自分の趣味を「音楽鑑賞だよ」と僕に教えてくれた。好きなCDを車に持ち込んで、ボリュームを大きくして再生するのだという。すると、音楽の振動を体感することができる。「耳で聴いても、身体で感じても、音楽に触れることに変わりはないでしょう?」。
聞こえないから不自由な生活をしているのだろうというのは思い込み。先生はまず、僕たちの偏見を取り除こうとしてくれたのだと思う。
指がなければピアノは弾けない。
それもまた、僕の思い込みだったのだろう。足らなければ、知恵や工夫が生まれる。努力をする。その事実を突きつけられて、当たり前に努力できることを、色々な言い訳を持ち出してやろうとしない自分の愚かさを思い知った。
足らなければ、補え。足りているのなら、走りだせ。
語尾はいつだって、日付を決めた動詞でありたいと思う。理想を語っているだけでは、いつまでも遠い彼の地のままだ。