言葉でまとめきるよりも先に、感覚を感覚のままに吐き出して伝えていく。最近そんな打ち合わせが続いていて、新しい領域のような、初心に戻ったようなココロを抱くことができて楽しい。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016年3月3日
感性に感性をぶつけて方向性を作っていくことも、感性に論理を加えて物語を作っていくことも楽しい。そういう風に取り組みながら、一緒に仕事をしていく人に仕組みを作っていく。想像すること、創造すること。絶対なんてないのだから、できるだけリスクを限定的なものにして試行錯誤をしていかなければ。動いた同士にのみ感じられる世界へ、継続をチカラにしていく。
必要とされるように動くのは、少し休んでも良いのかな。いまは、必要とされる場所で全力で動いてみたいと思う。
右脳左脳が実際どんな風に機能しているのかはわからないけれど、聞こえてくる楽器の種類によって、感じている部分が違うような気もする。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016年3月3日
感性でモノを言ったのか、論理でモノを考えたのか。自分で自分を観察してみる。経験という過去の延長にあるものを想像するときと、未経験の未来にのみ存在するかもしれないものを創造しようとしている自分が二人いるのも面白いね。
感性と論理の違いで思考したり想像するときは、頭のなかのぼーっとする部分も違うような気がしている。同様に、ラジオやテレビから聞こえてくる音も、楽器の種類によって、違う部分が反応しているような感じがする。錯覚なのかどうか。思い込みかもしれないけれど、人体は不思議だなぁと思う。