「~っていうことなんじゃないですかね」「~だそうですよ」「~なんだって」と噂話は事実の顔に変化をしていく。噂の発生地点はというと、いつも決まって同じ人の名前が出てくるから「またか」という気持ちになる。あいだにいて伝聞を信じる人もまた、同罪なのかもしれない。ちょっとした踏み絵をどんな風に受け止めていくか、ひとは試されている。僕も試されている。
Noとは言っていないけどYesとも言っていない。それを読んで言葉を重ね合う同士に大人を見る。あんな風には絶対なれないなぁ。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016年2月28日
相手を気遣う同士の、優しさに満ちた会話が好きだ。こんな風に会話ができるようになりたいといつも思う。
僕は、僕が信じた人のうわさ話の類は信じないし興味も持たない。悪意をもってそんな話で盛り上がろうとする輩のことは心から軽蔑する。