友だちの杉若さんが「豊かな人生を送りたいなら他の人の協力を得て大業を成し遂げる必要がありますが、自分ばかり得をする発想を抱いていると優秀な協力者が現れる可能性が低くなります」という話をFACEBOOKでしていた。とてもいいお話。「さて自分はこれに乗っかって得をするかな、損をするかな」と考えてしまう癖のある自分には耳の痛い話でもある。
経営者たちの集まる勉強会や異業種交流にも色々なものがあるが、利己ではなく利他行であるべきことを教わることが多い。得るのではなく与えること。与えることが先にできる人のところには人も情報もお金も集まって、結果的に、商売の世界で(商売に限ったことではないが)存在感を発揮していくことができる。生きていく糧を得るために仕事はするものだが、その瞳にお金が浮かんでいては早晩行き詰まることは必至。役に立ちたいという姿勢と表情で生きている人は輝かしくて素敵だと思う。
自分の参加しているネットワークに人を連れてくるという考え方がある。純粋に仲間を増やしたいと思うのならば良い。それが相手のためならば尚更良い。もちろん強制は良くないが、人が集まる仕組みを作っていくために動くのは悪いことではないと思っている。ただ、自分の商売(お金)だけを良くするためにひとを呼ぶという仕組みは感心しない。ひとを集めた人間のみが優先的にネットワーク内での高い地位や発言機会を得ることができ、そうでない人間は淘汰されていく。そこにまた新しい人間を生け贄として捧げ、胴元は入会金と会費、紹介者はポイントを得るというシステムからはお金の臭いしかしない。毒されたトンネルの向こうに光があるのだとしても、それは僕の理想とする商売の姿だとは思わない。
相変わらず自分のお客さんのところに勧誘を続けてくる団体がある。それをお客さんが選ぶのだとしても自由。ただ、財務諸表すら公開しない団体のことをどんな風に評価するか、その選択を周囲の人は見るかもしれませんね、という話はするようにしている。生き方にどんなカードを選ぶのか、一度ついてしまった臭いはなかなか消すことができないことを念頭に、慎重に選択をしてほしいと願う。甘い話の裏に、相手はどんな数字を抱いているのだろう。あなたは相手に与えられていますか、それとも、あなたは相手に搾取されているのですか。