知識を売る仕事だから舐められてはいけないと、必要以上に「上から」目線になってしまえば誰も寄り付かなくなってしまう。
肩書きや環境は人を育むけれど、勘違いさせてしまうこともある。「思い上がるな」という言葉をかけてもらうために、リアルな人間関係は大切にしなくてはならない。言いにくいことを言ってくれる存在の価値、それを知る想像力。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 11月 16
「教える」よりも「教えられる」側にいたほうが、人生は有利に運ぶことが多い。わかったような言葉を口にするような頃が実は一番わかっていないときで、僕は何度も頭を小突かれてきた。「思い上がるんじゃないぞ」と言ってくれる人のことは大切にしたいと思う。一方で、八方美人にはならないことも意識しておきたい(その差が難しい)。
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二十代、大阪でサラリーマンをしていた頃にお世話になった方が亡くなった。大阪サラリーマン時代は、世の中の裏を知るような毎日を過ごしていて、この方がいたから(いろいろな意味で)経験と知識が加速したといっても過言ではない。誰かから見ていまの僕は若くても、あの頃の僕から見ればもう、とっくに若くはないのだということ。無茶も無理もできた。無茶も無理もできない。刹那を生きていて、もう会うことのできない人ばかりが増えていくのが寂しい。