株式会社虎屋さんが休業するにあたって、ウェブに掲載した文章が「商売人の鑑である」とネットで話題になっている。
赤坂本店、および虎屋菓寮 赤坂本店は、10月7日をもって休業いたします。
室町時代後期に京都で創業し、御所御用を勤めてきた虎屋は、明 治2年(1869)、東京という全く新しい土地で仕事を始める決断をしました。赤坂の地に初めて店を構えたのは明治12年(1879)。明治28年 (1895)には現在東京工場がある地に移り、製造所と店舗を設けました。昭和7年(1932)に青山通りで新築した店舗は城郭を 思わせるデザインでしたが、昭和39年(1964)、東京オリンピック開催に伴う道路拡張工事のため、斜向かいにあたる現在地へ移転いたしました。「行灯 (あんどん)」をビルのモチーフとし、それを灯すように建物全体をライトアップしていた時期もありました。周囲にはまだ高いビルが少なかった時代で、当時 大学生だった私は、赤坂の地にぽっと現れた大きな灯りに心をはずませたことを思い出します。
この店でお客様をお迎えした51年のあいだ、多くの素晴らしい出逢いに恵まれました。
三日にあげずご来店くださり、きまってお汁粉を召し上がる男性のお客様。
毎朝お母さまとご一緒に小形羊羹を1つお買い求めくださっていた、当時幼稚園生でいらしたお客様。ある時おひとりでお見えになったので、心配になった店員が外へ出てみると、お母さまがこっそり隠れて見守っていらっしゃったということもありました。
車椅子でご来店くださっていた、100歳になられる女性のお客様。入院生活に入られてからはご家族が生菓子や干菓子をお買い求めくださいました。お食事ができなくなられてからも、弊社の干菓子をくずしながらお召し上がりになったと伺っています。
このようにお客様とともに過ごさせて頂いた時間をここに書き尽くすことは到底できませんが、おひとりおひとりのお姿は、強く私たちの心に焼き付いています。3年後にできる新しいビルは、ゆっくりお過ごしになる方、お急ぎの方、外国の方などあらゆるお客様にとって、さらにお使い頂きやすいものとなるよう考えています。
新たな店でもたくさんの方々との出逢いを楽しみにしつつ、これまでのご愛顧に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。虎屋17代
代表取締役社長 黒川光博
商売は一日にして成るものではない。また、お客さんとは、ひとりひとりの集まりのことをいう。この挨拶の文面は、歴史と、個々の顔を浮かべなければ決して書けるものではない。
商売をしているほとんどの人は、自分のお店や商品を選んでくれた感謝の気持ちをお客さんに伝えたいと願う。願って、誰かの手法を真似て、感謝を伝えようとする。ところが、いろんな人が真似ている手法を用いてしまうために、それがお客さんへの(買ってほしいという)下心になってしまっているのではないかと感じられてしまうことがある。
たとえば出会って、名刺交換をして、のち、送られてくる葉書にはよく、こんなことが書かれている。
「名刺交換の機会をいただきましたことを心より感謝いたします。このご縁を育んでまいりたいと思いますので、どうぞ今後とも末永く宜しくお願い申し上げます」
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この文面が悪いというのではなく、葉書を送ることが悪いというのでもなく、この文章は誰に向けて書かれたものであるのだろうということを考えてしまう。僕は確かにあなたと出会いました、話もしました。ただ、そのときに交わした話題に触れるわけでもなく、相手が誰であってもあてはまるような文章を送ってこられても、なんだかとても残念な気がしますと伝えたくなってしまう。
お礼状を送る、葉書を送る。この文化が浸透する前は、それでも「丁寧な人だな」という好印象を持つ手法だったような気もするけれど、今となっては、多くの人が行う手法になってしまって、目新しさはない。むしろ、表面的な言葉で関係を築こうとしている軽い印象を与えてしまう可能性すらあると思っている。
ひと言でも良いから「相手」を思いだして、思いだしたからこそ書ける文章を添える。それだけのことでずいぶん印象は違うと思うのだけれどどうだろうか。手法を形式的に真似るのと、方法の意味を考えてから真似るのとでは意味が違う。僕はそこに、「縁」の本当の価値があるのだと思っている。
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付記。
「にしばたさんの話にとても感銘を受けました、つきましては、後日改めてご連絡の上、事務所に訪問させていただきたく存じます」という、アポを前提とした文章の書き方は「相手」を思いだしているようで、思いだしていない。これもまた、相手の名前をいれることで距離を縮めるという使い古された手法を用いているだけであるということは忘れないようにしたい。