何かの記念日を祝日にするのも良いけれど、一年に一度だけ、テレビやラジオのない日があったらどうだろうと考えることがある。中秋の名月。虫たちが静かに奏でてる、道行く人も黙って見上げてる。
「名月をとってくれろと泣く子かな」(小林一茶)、「名月や池をめぐりて夜もすがら」(松尾芭蕉)、大きさや静けさ、時間の経過を感じさせてくれる俳句を諳んじて歩く。何もないことが豊かさなのであって、僕はいま、この境地に入って同じように詠むことは決してできない。引き算の文芸世界に身を置く身にとって、有ることは時に障害となる。持ちながらにして無に憧れるのだから、それ自体矛盾した概念ではあるのだけれど。
宙の向こうにある月がこんなに見えるようになっても、すぐそばにいる人の心と5分未来の明暗を見透かすことはできない。ただ、都合の良い想像をして、想像通りの心と未来になるように生きていくことはできる。月は平等に輝いても、未来は動いた者にのみ作用するのだということを想う特別な一日。