伝えているつもりでも、伝わっていなければ意味がない。伝えているつもりでも、誰もいないところで旗を振っても仕方がない。売ろうとする気持ちは見透かされてしまう。理屈や理論ではなく、感情でひとは動く。
上から目線で学んでいるのか、謙虚に学んでいるのか。その姿を周囲は見ている。見られていることを思う想像力は大切。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 9月 19
「教える」仕事だから舐められてはいけないと身構えてしまう時点で、ビジネスの匂いになってしまうんだろうな。中小企業の社長なんて、根っこは「商売」の匂いで繋がってるのに。結果、あの人にそんなに高いお金を払うお客さんは実在するのだろうかという負の想像をされるようになってしまう。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 9月 19
「そっち」の匂いがする人のそばにいれば「そっち」の匂いがうつる。ビジネスをしたいのか、商売をしたいのか。僕は商売人で、「そっち」は好きじゃない。「そっち」は否定しないかわりに、ここに、明確な線があるものとして必要とされるようになりたい。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 9月 19
つまり、理屈と理論という空論ではなく、僕は経験を売っていきたいと願う。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 9月 19
広告や広報、ブランディングに関する仕事の依頼と相談が増え続けている。有り難い限り。
いろんなテクニックや理論もあるのだろうけれど、そんなものでひとに「教えよう」とする姿勢を僕はとらない。「なんとかの理論がありまして」なんていう書き出しや語り方をして、人が共感してくれるとは思わない。
AIDMAの法則、という理屈を語りたいのであれば、「僕たちが子どものときって、おもちゃ屋さんの入口にどんなものが置いてありましたっけ?」と問いかけて、シンバルや笛を鳴らすクマやサルの人形を思いだしてもらうようにする。それに意味があったことを思いだしてもらってから、「では今、僕たちがこの仕事で出来ることは何でしょう?」と複数形になって一緒に考えるようにする。それが僕の提案の仕方だ。
「売」という字を極力排除しようとすれば、選ばれるための「本質」だけが残り、結果、残っていくお店になる会社になる。僕はそんな風に考えているので、あいにく、「ビジネス」や「ビジネスライク」という言葉とは相性が良くない。
いま、理屈に走ったな、自分は。
ずっとテクニックばかりを追いかけている気がする。
そんな風に自問自答して、気付くことができれば、変わっていくのではないかと思う。変わることができるのではないかと思う。磨くべきは、値札なのだろうか、自分なのだろうか。商売の原点は共感にある。僕は商売人であることを永遠にブレない。