知識を知識のままに伝えるのではなく、「たとえば」と置き換えて伝えることを大切にしたい。
説明が多くなりすぎるなーと思ったら「たとえば」という書き出しを意識してみるといいかもしれません。人の目は絵や図といったわかりやすいものに行きやすいですが、同様に、具体的例示が書かれてあるところに飛んで、安堵を覚えやすいのです。適当な改行を入れて見た目の空白を作ることも有効ですが、「たとえば」という言葉で始まるその先にはわかりやすい説明があることを読み手は期待します。
それでも、ひとの、そのまた先には想いは半減して伝わってしまうことがある。事実を誤解されてしまうこともあって、中途半端に伝わるくらいならば「知らない振りをする」という選択肢もまた、リスク回避のためには必要なことなのかもしれない。
どれだけの知識もどれだけのわかりやすい言葉も、届いた人のそのまた向こうに届くころにはエネルギーが半減してる。
まだまだ、と、思う気持ちと、そういうもんだ、と、思ってしまう気持ちと。そうして、いろんな舵の行方を考える。リスクを避けることもまた、挑戦なんだな。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 8月 11
自分を守るために、知っていることをわかりやすく伝えることも必要であれば、知っていることを知らない顔をすることも必要となる。大人の選択といえば格好良いのかもしれないが、自然と、いろんな損得を考えて生きている自分にモヤモヤとした気持ちになることもあって難しい。