無情に進んでいく時間があって、悲哀を片付けていくのも時間なのだということを思うとき、いつもASKAさんの「朝をありがとう」という曲を思い出す。
時間の中で僕たちは生きていて、黙っていても時間はどんどん進んでいきます。どんなに楽しくても、どんなに悲しくても、それはその人だけの話で、無情にも時間は進んでいきます。すべて時間によって運ばれていくから、苦しんでいても時間は過ぎていくし、悲しんでいても景色は作られていく。結局、目に見えるものは、時間と一緒で前しかないんです。そういうことを踏まえて、いろんなことを片付けてくれるのは時間なんだから、毎日やってくる朝に感謝、“朝をありがとう”、という気持ちで作った曲です。(ASKA) -2012年TUG OF C&A会報10月号より-
空が白くなるにつれ、鳥たちは歌いだしてセミは夏の演出を忙しそうにする。物流や通勤の車たちが行き交いだして朝の始まりを完成していくと、今日もここに生きているという実感が痛いくらいに溢れる。まさに「朝をありがとう」だ。
川柳の世界での兄貴だと慕っている人の病気と余命の報告に泣いてしまった。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 8月 3
生者必滅会者定離、わかってはいてもわかりたくない心がある。今日と同じ朝が明日も来るとは限らないから、一所懸命であれ。そういうことなんだけれど、そういうこととして定規を持ち出せるほど、僕は達観していない。朝はどんな風に針を進めてしまうのだろう。
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自己満足のカタチかもしれない祈りの構えをして、僕は今日の朝を迎えた。明日の朝はどうだ。