「書きためている文章だから『そのときのテンション』はすでにもう『こっちのテンション』になっていることが多いんだ」
「でも『こっち』だと思って読んでいたら『あっち』っていうこともあるよね?」
「ある」
「どうしたらいいの?」
「心で」
「え?」
「心で察して」
「無理」
「だろうね」
そんな風な質問をされて、こんな風な回答をすることがある。今はもう、ブログはほとんど予約投稿にしてあるので、アップされた瞬間の感情がリアルタイムな感情とイコールであるということは少ない。だからなんとなく、感情に近いものよりは不変の想いや考え方を書くことが増えてきた。読み返して、表現を変えながら同じことを記そうとしているのだなということに気付くと、それが自分の絶対に譲れないポイントなのだと自覚することができる。書くということは自分の気持ちとの対峙。残していくことの意義を思う。
フレーズになる前の言葉たちをメモに書いて、熟成されていくのを待つ ―― と書けば格好良いのだけれど、単語の羅列は読み返しても意味のわからないものがほとんどだ。「焼きうどん」「クワガタの残業」「いい肉や」などなど、僕はいったい、この子たちにどんな未来を予感していたのだろう。