玄関先の睡蓮の鉢ではメダカを飼っていて、毎年、春になると稚魚たちに出会います。
冬の間はほとんど餌を食べることもなく、時には氷の下でじっとしていることも。季節が巡ることをDNAに刻まれているから、この陽射しを待つことができるのでしょう。その強さにいつも感心します。膝をついてしばらく、小さな命たちがチロチロと泳いでいる様子を眺めて過ごすのがこの時季の楽しみのひとつです。
意識して池の近くを通れば、亀たちの日向ぼっこに出逢えるのもこの季節ならでは。
持つや持たない、老若男女や生き物の区別もなく、太陽は誰に対しても平等に顔を向ける。いいや雲が邪魔をすることもあるでしょうと反論されるかもしれませんが、雲のない場所を選ぶための足が私たちにはあります。不平に不満を唱えているあいだに、僕は何cmかでも前へ横へ先へと歩けるようでありたいと思うのですが、夏の暑さに音をあげている場合ではありませんね。
チャンスはいつも平等に。この世に生まれてこそ、生きてこそ。
いろんな命たちの一生懸命に、ふと、そんなことを思いました。