僕の春のカレンダーには、愛犬たちと家族の命日が続いていて、いろんなことを思い出すのですが、たまに立ち寄る仏壇にはまるで誕生日を思わせるような賑やかな演出が幾つもあって、僕たちとみんなの関係と、僕たちの変わらない日常を伝えられているのではないかな、と勝手に考えることにしています。
時間は優しくて、過去を美しく見せてくれます。そしてその過去が遠くになっていくことは、時々、とても苦しい。大人はきっと誰も何かしらの別離を経験しているはずなのに、皆は強いように思われて、僕も一応それっぽい顔をしてみせるのですが、緑のなかに響く歓声、リードに繋がれた犬や肩車たちの笑顔を眺めているとどうしようもなくなります。しばらく、僕は、公園のベンチ、触れることのできない昔々の感触を思い出して過ごしました。
死んだらどうなるんだろうということも考えますが、死ぬまでをどうやって生きていこうかということに、やっぱり今は一生懸命です。悲しみは喜びを際立たせるために在り続ける。そんな名言っぽい言葉を浮かべてみたりもしながら、彼の人にはどんな涙があるのだろうと不幸を比較してしまう僕の器は本当に小さいですね。
空、鳥たちが気持ち良さそうに旋回していました。