生きているということは知らないことを発見することで、無知であればあるほど、毎日が新鮮に満ちてくる。
九州電力は7日、鹿児島県の種子島で太陽光による発電量が大きくなりすぎて停電する恐れが生じたため、再生可能エネルギー特別措置法に基づき、太陽光発電設備を運営する1事業者に対し、発電の一時停止を指示したと発表した。
最初、太陽光による発電量が大きすぎて停電が生じる可能性があるという意味がわからなかった。たくさんあるのにどうして足らなくなるのだろう?
大型連休中で役場などが休みで需要が下がる一方、好天で太陽光による発電量が大きくなり、需要を超えると予想された。需要を大きく上回る電気が電線に流れると、周波数が乱れ、停電につながる恐れがある。
で、なるほど納得。ダムにたまった水も一気に流してしまえば川が氾濫してしまうというイメージなんだな。
太陽の光を電気にできると思った人も賢くて、太陽の光が電気になりすぎると停電が生じると計算のできる人も賢い。この世の仕組みはいろんな人たちの知見と努力によって成り立っていて、当たり前に生きているときはこれっぽっちも意識することがない。無知ゆえに、僕はこのニュースの見出しを見ただけでは内容が理解できなかったけれど、無知ゆえに、普段意識することのない世界に興味を覚えることができた。身の丈を認識して、知らない世界の偉業を知ることができるというのは幸せなことだと思う。
無知ゆえに新鮮、無知ゆえに謙虚、無知ゆえに幸福。知らないところの、色々なお蔭さまで、毎日を生かされている。