父は365日店を開けていた人なので、僕の記憶には「一緒に遠くへ出かけた」というようなものがほとんど残っていない。
貴重な思い出の一つが、大学の入学式のとき。父と母は店を休んで京都までやってきてくれて、式が終わった後、清水寺のあたりを散策したことを覚えている。父の写真はあるけれど、一緒に撮影したものはこれが最後で、清水寺の近くを通るといつもその瞬間のことを思い出す。
京都は学生時代を過ごした街。暑かったけれど、修学旅行生や観光客の方がたくさんいて活気に満ちていた。元気な今が嬉しくて遠い思い出が懐かしくなる、そんな一日を過ごすことができた。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 4月 22
明石から京都まで毎日通っていたし、学生のころは京都の文化に興味を持つことはこれっぽっちもなかった。有名なお寺の名前は知っていても、どこにあるのか案内することさえできない。本当にもったいない時間の過ごし方をした。
いろんな思い出の詰まっている街は、ところどころ、通りかかるだけでキーンという音がして昔へ誘ってくれる。もう、戻らないけれど色褪せることもない。そんな時間のひとつひとつを訪れてみることも、いつか、改めて、ちゃんとしてみたいとも思う。