生前の父は、一週間のうちに3日は病院に通って数時間の透析を必要とした。阪神淡路大震災のときは明石から花隈の病院へ通うことができなくなって、受け入れてくれる病院を必死に探したことを覚えている。限られた機器に殺到する患者たち。平時と同じ程度の透析を受けることは難しく、不調のまま不安定な日々が過ぎた。震災によって絶たれた病院への交通網。まだインターネットも一般的ではない時代で、情報も十分に得ることができない。一分一秒、刻々、震災を生き長らえることのできた命が削られていく不安。瓦礫の空気で汚れた神戸の街と同じくらいに、病院から遠い父の血液は黒く澱んでいった。適切なタイミングで透析を受けることができないというのは、つまりそういうことだった。
晩年、父とは病室の透析室で話すことが多かった。透析患者は痒みに悩まされることが多い。手の届かないところを掻いてほしがる父に、僕は十分なことをしてあげることができなかった。いま、父から与えられたものの数多くを想うとき、僕はどうして「その程度」のことができなかったのだろうと後悔をしている。してあげることのできなかった「ほんの」は、のちに、とても大きな波となって僕を打っていく。僕は死んだら、いちばんに、そのことを謝らなければいけない。
第5回川柳コンテスト応募要項|透析のかゆみ.jp|鳥居薬品株式会社透析のかゆみ川柳コンテストというものが行われているのを見つけて、一句応募してみたところ「支援者部門/兵庫県」にて一次審査に通過したことを知る。このあと、二次選考と最終選考が行われるらしい。父はいつも、文章に関するコンテストに僕が入賞することをとても喜んでくれていた。一次通過ではあるけれど、また、どこかで喜んでくれているのだろうか。それとも、親不孝だった僕のことを「なにをいまさら」と呆れているだろうか。
切らぬまま伸ばした爪で添うベッド/西端康孝