僕は昔から、自然音が大好きだった。夕暮れのテトラポッドに横になって、打ち寄せる波の音に耳を澄ます。うとうとしてふと気が付くと、一面に星が広がってその日のカタチをした月が挨拶をしてくれる。夜は静かに丸い地球を沿っていき、波音は闇のなかから、僕だけを呼んでいるような錯覚をさせて、時々、神秘にも恐怖にも似た気持ちを覚えることがあった。一定のようで一定ではない、そんな不安定で夢見がちな多感な時期の僕と波は相性がよかった。
ところで、図書館などの静粛な環境(50デジベル)よりも、多少のノイズがある環境の方が創造力が増すそうだ。カフェで読書や勉強、仕事が捗るのはそういう理由によるもの。街中のカフェでは70デジベル程度のノイズになっているらしい。
今はもう、簡単には海に転がるわけにもいかず、カタカナの並ぶカフェもどうにも落ち着かない僕は、努めて自然音のBGMを流すようにしている。そのなかでも特にお気に入りなのがこの「ひぐらしの鳴き声」である。
https://www.youtube.com/watch?v=aXoh_UKoSRU
山、夏の終わり、高校野球の終わった頃に吹く風、心残りのある夏の背中。そんなときに響くひぐらしの鳴き声はどこか切なく懐かしく、畳で足を投げ出したまま父や母の「ただいま」を待った、あの頃の時計の針に返ることができる。そうして僕はしばらく、心を落ち着けて作業に臨むのである。
[川柳]夏の背に忘れたはずの潮の音 | 短歌と川柳とマカロニと[短歌]砂浜の粒は僕らを聴いていたもうその粒は探せないけど | 短歌と川柳とマカロニと
むかしむかしの気持ちとリンクして詠んだ歌たち。イライラしたり、賑やかだったり、馬鹿をして生きている毎日から、ときおり、遠い景色に思いを馳せてみる。「かつて」は優しくて、いつも帰りたくなる景色だなぁと思う。