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本を声に出して読むということ、朗読のススメ ~好きな本屋が京都にある

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島崎藤村の言った「すぐれた人の書いた文章は、それを黙読翫味するばかりでなく、ときには心ゆくばかり声をあげて読んでみたい。われわれはあまりに黙読になれすぎた。文章を音読することは、愛なくてはかなわぬことだ」という言葉が好き。むかし、国語の授業では必ず朗読のテープを聴くという時間があった。いま思えば、それは本当に贅沢で豊かな時間だった。

好きな本屋が京都にある。店主は、僕が吟味している間、レジにいて本を読んでいる。店内には紙と黴のような匂いが入り混じっていて、ここだけは昔からずっと時計の針が進まない。表に出してある自転車が本棚と本棚のあいだに仕舞われると閉店の合図だ。

ひどく失恋したり、大切な家族を亡くしたり、裏切られたような気持ちになって孤独を選ぼうとしたときも、活字はいつもそばにあった。声に出して耳に聞くリズムには何らかの意図があって、自分だけが作者の気持ちに触れられたように錯覚する瞬間がある。もちろん実際はそんなことはないのだけれど、活字が音になって心にしみていく味わいは格別のものである。

自分の書いた原稿をナレーターが読む、そのレコーディングに立ち会ったことがある。文字のひとつひとつに表情があるのだとすれば、そのとき彼らは、きっと目を細めて音符になっていたに違いない。願わくはいつまでも、歌のような文章を綴っていきたく、眠る直前にほんのすこし、名詩や名文と呼ばれるものを声に出して読む習慣を続けている。この種はいつか、楽譜にのって誰かの心を揺らせるようになるだろうか。

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