「忘年会には参加せず仕事を頑張る」という書き方と「忘年会にもっと呼んでもらえるように仕事を頑張らなくては」という書き方。
さて、仕事を頼むとしたらどちらの人に頼みたいですか?という質問をして回ると、すべての人が後者を選んだ。意識が高い印象があるのは前者であるのに後者の方が人として付き合いやすい印象があるということ。では次に仕事の席で「父と母」と言う人と「お父さんお母さん」と言う人がいた場合はどうですかと同様に質問をしてみる。回答は「お父さんお母さん」がほとんどだった。マナーとしては父と母という言い方が正しいのだろうけれど、お父さんお母さんと言える人の方が本音で付き合える感じがする、という答えもあった。
第一印象という偏見が機会損失に繋がってはいないだろうか
マナーや知識、論は「正しい」と「間違い」で分けられるものが多い。ただ、正しさを追求して、それで僕たちの生きる道が保障されるかといえばけっしてそんなことはないということをひとは幾度も体験してきている。
「第一印象で決まる」や「一流はこんな振る舞いをする」という論に関する文献に書かれてあることは確かにその通りだと思う。一方で、そういった本を読んで感銘を受けた人と対峙するとき、「いま、僕はこの人にどんな印象として映っているのだろうか」という構え方をしてしまうのは想像に難くない。裏を返して言えば、「第一印象で決まる」という考え方は「第一印象で決める」という偏見に繋がる可能性を含むことでもあり、その人の本質に目を向けられない重大な機会損失になってしまう場合もあり得るということだ。
若年経営者である僕は、経営者たちの集まりの席で、下座ではなくあえて上座に座ることを意識してきた。マナーとして、これはあり得ないことだろう。しかし実際は「お前は若いのになんで上座に座ってるねんーアホなやっちゃなー」と親しみを込めて話しかけてもらえることが多かった。正しいビールの注ぎ方を覚えることも大切ではあるが、宴席で話しかけてもらいやすい要素を意識したほうが、結果的には年上の方に可愛がっていただき仕事にも人生にも有利な結果になってきたのは事実。ひとは教えたがる生き物で、知っている人間には教えようとはしない。話しかけてもらえる「足らず」を作ることは、マナーや作法を完璧に行おうとするよりも気軽に行える気がするのだがどうだろう。
「知っている」ことよりも「教えてもらえる」自分を大切にしたい
関西という土地では「ツッコミをもらう」ことは親愛と信頼の証。詰め込まれた堅苦しさ、真面目な印象を与えるよりも、「お前アホやなー」と言ってもらった方が次の橋を渡っていきやすいことが多い。商売をやっている人間だからこその考え方もしれないが、僕はそんなルーズさを個性のひとつとして評価されることを意識し続けている。
「こんな知識があるんですよ、皆さんご存じですか?」と言う人間と「僕、知らないことばかりなんですよー。だから教えてくださいね」と言う人間と。どちらの人間と一緒にご飯を食べに行きたいか、それを考えてみれば、真面目で正しいから生きていけるわけではないという持論に至る。そもそも、仕事そのものは真面目に行うことが当たり前であって、「いいものを作れば売れる」というのは「いいものを作っていないところをわざわざ探してきて、自分の地位を相対的に高める」という考え方にも似ているように思える。当たり前のことは当たり前に主張せず、論に惑わされて同一化してしまうのではなく、自分の色を大事にすること。マニュアルと呼ばれるものが増えてきているからこそ、個の色の浮き出る生き方を大切にしていきたいと思っている。