溺れている人は助かろうと手足をばたばたさせる。それが一生懸命であるということ、本気であるということ。その必死さに周囲は手を差し伸べるのであって、悠々と水面に浮かぶ人間に救いの手が伸びるわけもない。人に助けられたことに謙虚と感謝の気持ちが生まれ、今度こそは溺れまいとすることに注意が生まれ、はたして人は対岸に泳ぎ着くようになる。泳ぎ方の本を100回読むよりも一回溺れた経験のある人間の方が強いというのは、経験のなかに周囲との関わりがあるからなのではないか。インプットの向こうに教科書が見えて、人が見えない。この頭でっかちの状態では、「なるほど」という感心は生まれても「ならば一緒に」という共感にまではなりにくいのだと思う。
知識も大事、ただ、知識よりは物語が大切。僕はそう考えている。