新幹線の車窓から眺めるそれぞれの生活を想像するのが大好きだ。
自分の住む町よりも都会であれば、どんな便利と娯楽が身近にあるのだろう。自分の住む町よりも田舎であれば、この環境がそこに住む人たちの心身にどんな影響を与えるのだろう。そんなことを流れる景色を眺めながら考えている。都会だ田舎だ便利だ不便だ、なんてものも偏見の基準によるものだけれど、それぞれの時間軸と生活様式を想うだけで自分の心が豊かになったような気にさえなる。想像という自由、いろんなひとが生きている。
この地名になったのはどうしてなんだろう、この土地に暮らす人の娯楽は何だろう、「あちゃー醤油を切らしてた。ちょっと買ってくる」という状況になったときの最寄のスーパーやコンビニは何処なんだろう、なんて想像をしながら地図をぐるぐる。時間がすぐに過ぎていく。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 10月 23
その場所を目的に訪れるのではなく、近くを通りかかったら、そういえばいつか、このあたりを地図で旅したことがあると思い出せたら楽しいね。脳の深くはないところに、地名や生活を想像した印象を置いていく感覚。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 10月 23
この山では、どんな風にして陣取り合戦が行われていたのだろう。雨露はどんな風にして凌いだのだろう。戦いの束の間、緑色のなかで食べるオニギリの味はどんな風に沁み入ったのだろう、とか。 pic.twitter.com/Y7MywaSO7v
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 10月 23
検索をすれば答えの出ることを、想像で止めておく、留めておく。「なぜ」や「どんな」を抱いて「こんなかな」を想う。そんな曖昧な領域に心を置いてしばらく、明けきった朝に少しずつ現実の色を落としていく。今日はどうか、ため息の少ない一日になりますように。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 10月 23
iPhoneの地図アプリのなかで、旅に出かけていく。5分あれば海を渡ることもできるし、興味深い地名を見つけては歴史を想像することもできる。正しいかどうかではなくて、こんなことがあったのかもしれないと思う感覚が楽しい。ときどき、正解は、溢れる想像の流れを止めてしまうことがある。答えを求めないでいるとき、訪れたことのない隣町へ自転車で向かった幼少のころの高揚と重なるのが良い。
[川柳]ペンと空 詩人は鳥になりたがる | 短歌と川柳とマカロニと想像のたび、創造してる。そうやって生まれる言葉や音符をもっと増やしたいと思いながら、いつもと同じ、月末の、少し息苦しい風のなかを過ごす。