ケータイ電話のなかった頃は、晩になってから友だちの家に電話するのはとても躊躇われた。
技術の進歩で行動様式が変わると、これまでの常識は一気に変化していく。自分たちのようなコンテンツクリエイターは、常識は昨日までのものであったことを念頭に置いて、今日を受け入れ、明日を見据えていく必要がある。
ブログでは仮説を立てて実験を行ってきた。一つの傾向として判断できる程度にはPVが集まるようになったおかげで、次から次に新しい検証を行えるようになったのは有り難いことだ。Googleのいう「スマホファースト」はまさにその通りで、時間が経てば経つほどPCとスマホでのアクセス比率は逆転しつつある。また、LTEなどの高速通信の普及とスマホの画面サイズが大型化していることで、「滞在時間の減少(=一画面で多く情報が見られるようになった)」「「ページ/セッションの上昇(=関連リンクが画面内で目立ちやすくなった)」「動画コンテンツの視聴率の上昇(=高速通信の普及によって動画の再生がスムースに行われるようになった)」という傾向も明らかになってきている。このあたりの傾向を踏まえてお客さんに提案したコンテンツはGoogleやYahooからの検索流入に繋がり、売上と利益に寄与するようになった。自分自身が仮説を立てて実験してきたことなので、相談に応じるお客さんのステージ毎に経験の中から提案をするのは、自分の商品の一つになったといって良いと考えている。
Facebookの「いいね」が気軽に使えるようになって以後、大きく旗を振ることよりも身近なところの反応だけで満足してしまう傾向が強くなったのは(個人的には)残念なことだと思っている。身内の反応を狙って行ったようなことには外の人は反応しない。一方で、大きく振った旗については身近な人も身内も見ていてくれる。ならば、マーケティングで意識するべき距離は何処なのか。その点については語るまでもない。ただし、反応の現れやすさに依存する考え方について否定はしない。
ひとはどんなキーワードで検索を行うのか。それは想像力であって、委ねるのであれば、書き続けた経験のなかで様々な反応を自身で体験してきた人をパートナーに選んでほしいと願う。論を論のままに語るよりもたとえばのチカラを持つ人を探してみてほしい。
書いている文章の意図が相手に伝わらないときに使いたい、「たとえば」の力。 | コトバノSNSなどを通じて、発信はもちろん、交流をするスキルに長けた二十代の若者も増えてきている。よくわからない世界、感覚といって済ませてしまうのではなく、そんな世代の持つ感覚や感性を評価して受け入れる器を養っていくことも大切だ。自分たちの次の世代に対して謙虚な姿勢を持つことで、語りだし、教えてくれる世界があることを知る。
閑話休題。技術の進化は外部環境の変化。昨日に固定されたまま明日を否定するのは、僕たちの怠慢であるのだと心得たい。