パワーに自信があるのなら、相手の立ち技に自分も立ち技で挑めば良い。ただ、戦い方の美学にこだわるのか勝敗の結果に重きを置きたいのか、それによって戦略は変わる。柔よく剛を制すという言葉にもある通り、力みを抜いて相手の力を利用してみる。あるいは寝技に持ち込んでみる。すると相手は、立ったままの姿勢で攻撃を仕掛けてこようとするから、ますます浮き足立っていく。どちらの側に余裕があるように見えるかは言わずもがなだ。
他を蔑んでまで、自分たちの地位を相対的に押し上げようという考え方は好みません。
自分の地位を保全しようとしたり、相対的に押し上げようとする。そのとき、劣るものを見つければ自分の承認欲求を満たすことはできる。ただ、自分という人間は、いくら「見せよう」としても「見られる」ものであることを忘れてはならない。
論理的に伝えようとするとき「雰囲気のいい会社はこうで、悪い会社はこんな風だ」と書く必要はあるか。「仕事のできる人はこうで、できない人はあんな風だ」と書いてしまう必要があるか。
知識や技術に自信は持っても他所と比べて自分はこんなに優れていると思ってしまえば傲慢そのもの。
「あのお店の料理はまずいけど、うちのお店はこんなに美味しいですよ」と言ってしまうくらいならば「あのお店の接客、とても素敵なんです。うちもそれに負けないようにしなと」と謙虚に受け入れる姿勢を出してみてはどうか。差別化を見せようとするよりも、差別化されたポイントに気付いてもらえるだろうというくらいの寝技のほうが、周囲は付き合いやすいのではないかな、と思う。