117と177はどちらが天気予報でどちらが時報だったか。覚え方には色々あるけれど、無理に両方を覚えようとせずとも、一方だけをちゃんと記憶しておけば答えは導き出せる。
他を蔑むことが差別化なのだとすれば。 | コトバノスネ夫くんが好かれない本当の理由。 | コトバノ
僕が会社のメンバーに伝え続けていることは、「他を蔑まない」ということ。「売ると選ばれるの違いは何か」ということ。わざわざ劣るものを見つけてきて自分たちの優位を伝える必要はない。自分たちの誠実、自分たちの一生懸命、自分たちの想い、自分たちの物語。それを何度も繰り返し自らの口で伝え、実際に行動する。態度で示す。選ぶ側は、そこに違いを見出してくれようとする。それが商売人のマナーであり、在り方だと思っている。
好対照なふたつを伝えるときは、自分の価値を下げないように気を付ける
論理的に伝えようとするとき「雰囲気のいい会社はこうで、悪い会社はこんな風だ」と書く必要はあるか。「仕事のできる人はこうで、できない人はあんな風だ」と書いてしまう必要があるか。
事例を持ち出して説明するとき、好対照にあるふたつを並べて例示することは確かにわかりやすいのかもしれない。ただしそれは「この人はこんな風に人物を観察しているのだな」という両方の意味での人物評を与えられてしまう可能性がある。ただ純粋に「こんな風に仕事をしてくれる人って本当に気持ちいいですよね」というプラス方向の言葉だけで終わったとしても、その裏返しを聞き手は勝手に想像してくれるのに、だ。
プラスもマイナスも両方を伝えれば自らもマイナスになってしまうことがあるけれど、プラスだけを伝えれば行間のマイナスは勝手に相手が想像してくれて自分の評価がマイナスになることはないと僕は考えているのだけれど、それは甘いだろうか。極端な話をすれば、読まされる側の不快になる可能性は、両方を伝える場合と比較してぐっと低くなるように思っている。蔑む言葉、比べる言葉は、言われる対象だけでなく聞かされる相手にまで重たい。自分はそんな風に考えている。
理論がちゃんとあるならば、その余力で、不快にならない言葉の選び方をしてほしいと思う。人それぞれの考え方や生き方、テンポや立場を尊重してあげてほしいと思う。刃のような言葉がしんどくて、僕みたいに何をするのも遅くて失敗の多い人間には鋭く刺さってくることが多い。テンポの速い同士、テンポのゆっくりな同士と考えれば良いことを、テンポの違いを優劣と考えられてしまうのがビジネスだというならば、僕はやっぱり商売人で、ビジネスという言葉からは遠いところに生きているなぁと思う。
もちろん。
それを卑屈に思うことはこれっぽちもない、商売人であることは僕の誇りに違いないのだけれど。