「端っこ」という言葉を聞くたびに複雑な気持ちになる理由は僕の名前である西端に「端」という字が含まれているからで、「端正」という言葉を聞くと妙に誇らしい気持ちにもなる。日本で最も西端にある与那国島には親近感を抱いているし、偏りのある話をしては「極端だなぁ」と言わせてみてほくそ笑んでみたりもする。
いつか与那国島を訪れて「日本の最西端に西端がやってきた」と書いてみたい気もするし、南鳥島で同じことをすると混乱させてしまうのだろうかと想像を膨らませることもある。
我端不了と中国語で書けば「持つことが出来ない」という意味になるし、我端面来と書けば「うどんを持ってくる」という意味になる。
端という字の意味の多さに僕たち「端をこよなく愛する会」のメンバーは、様々な感情を抱き続けているのである。もちろんそんな会、実在するわけがないんだけれど。
ところで、ところで。
「端」という字はよくこんな風に間違えられることがある、正しくは「立つ」が左にいるのでご注意を。ついでに言えば僕の名前は西端康孝であって康考ではない。
嗚呼。
なんて、こんなくだらないこともたまには書いてみれば「端を開く」ことになるのではないかと思ったりするようでは、僕はまだまだ主役に遠い、ほんの「端役」なんだろうきっと。