朝方の生活、いわゆる朝方人間で失敗をする人は少ないけれど、朝方人間であることを主張し始めると人付き合いに微妙な変化が生じ始めることがある。似たような事例で、「身体に良くないので、ラーメンは食べないことにしている」という主張もまた同様だ。
何かを積極的に行うことも、何かをしないことも人それぞれの自由。ただ、その意識や行動の徹底に強い自制や自覚が求められる場合、聞いている側は「すごいですね(でも自分には無理だなぁ、しんどいなぁ)」と、心のなかで隔たりを覚えるようになってしまう。結果的に意識の高い人は意識の高い人を呼び寄せることになるのだろうけれど、それで諸々がすべて回って幸せになれるとは限らない。そんな風に考えていくと、意識が高いとは、意識の高さを表に出すのではなく、己自身の行動や言動が相手の嫌味にならないよう配慮のできる人のことなのではないかなぁと思ったりする。
うちの会社でも、たくさんのインプットを奨励している。ただ、「知っている顔」をすることよりも「知っていることも知らない顔で聞ける人間であってほしい」と考えるのは、表面的な真面目さよりも、人として付き合いやすい雰囲気を醸し出してほしいと願うからだ。
もっとも現実は「本当に知らなくて、だから知らない顔で聞いている」ことがほとんどなんだけどね。